大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台地方裁判所 平成元年(ワ)187号 判決

原告

佐々芳昭

右訴訟復代理人弁護士

渡部修

被告

(亡佐藤正幸訴訟承継人)

佐藤ヤヨエ

(亡佐藤正幸訴訟承継人)

佐藤晶子

被告ら訴訟代理人弁護士

武田貴志

同(復)

角山正

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求

被告らは、原告に対し、各自七二五万円及びうち五五〇万円に対する昭和五六年八月三〇日から、うち一七五万円に対する同年九月一一日から、各支払済みまで年三割の割合による金員を支払え。

2  予備的請求

被告らは、原告に対し、各自七二五万円及びうち五五〇万円に対する昭和五六年七月二九日から、うち一七五万円に対する同年八月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  主位的請求

1  請求原因(準消費貸借及び消費貸借)

(一)(1) 原告は、昭和五六年五月一九日、佐藤正幸(以下「正幸」という。)との間で、正幸に対し弁済期の定めなく四〇〇万円を貸し付ける旨の契約を締結し、正幸に対し右金員を交付した。

(2) 原告は、同年六月一九日、正幸との間で、正幸に対し弁済期の定めなく三〇〇万円を貸し付ける旨の契約を締結し、正幸に対し右金員を交付した。

(3) 原告は、同年七月二九日、正幸に対し四〇〇万円を貸金として交付したうえ、この貸金返還債務と右(1)及び(2)の貸金債務を合わせた一一〇〇万円を元本とし、弁済期を同年八月二九日、利息を月三分、遅延損害金を日歩一〇銭と定めて、準消費貸借契約を締結した(以下「甲貸金」という。)。

(二) 原告は、同年八月一〇日、正幸との間で、正幸に対し弁済期を同年九月一〇日、利息を月三分、遅延損害金を日歩一〇銭と定めて、三五〇万円を貸し付ける旨の契約を締結し、正幸に右金員を交付した(以下「乙貸金」という。)。

(三) 正幸は平成二年七月二四日死亡し、正幸の妻である被告ヤヨエ及び長女である被告晶子が二分の一ずつの割合で相続した。

(四) よって、原告は、被告らのそれぞれに対し、右の(一)(3)の準消費貸借契約及び(二)の消費貸借契約に基づき、甲・乙貸金の合計元本七二五万円(被告両名の合計一四五〇万円)及び甲貸金の元本である五五〇万円(被告両名の合計一一〇〇万円)に対する弁済期の翌日である昭和五六年八月三〇日から、乙貸金の元本である一七五万円(被告両名の合計三五〇万円)に対する弁済期の翌日である同年九月一一日から、各支払済みまで約定利率のうち利息制限法の上限である年三割の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 同(一)(1)(2)(3)の事実は否認する。

仮に、消費貸借ないし準消費貸借の合意自体が認められるとしても、原告主張の各金員が原告から正幸に対し交付されたことはない。右各金員は、原告から正幸に対し交付される際に、貸し付けに関与した佐々木正気がこれを受け取り、正幸に対しては交付されていない。

(二) 同(二)の事実は否認する。

仮に、消費貸借の合意自体が認められるとしても、原告主張の金員が原告から正幸に対し交付されたことはない。右金員は、原告から正幸に対し交付される際に、貸し付けに関与した佐々木正気がこれを受け取り、正幸に対しては交付されていない。

(三) 同三の事実は認める。

3  抗弁(意思無能力)

請求原因(一)及び(二)の各契約をするについて、正幸は、右各契約の意味を理解して自己の行為の結果を弁識することのできる精神的能力(意思能力)を欠いていた。

4  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

二  予備的請求(不当利得返還請求)

1  請求原因

(一) 原告は、前記主位的請求の請求原因の一(一)(1)(2)(3)、(二)において主張したとおり、正幸との間で消費貸借ないし準消費貸借の契約をし、正幸に対し貸金として合計一四五〇万円の金員を交付した。

(二) しかるところ、右の各契約をするについて、正幸は意思能力を欠いていた。

(三) 右の消費貸借ないし準消費貸借の契約に基づいて正幸に交付された合計一四五〇万円は、正幸の死亡当時現存していた。

被告らは、原告の不当利得返還請求権を拒むことができるためには、正幸がその死亡当時既に右の不当利得にかかる金員を喪失していたことについて、主張立証すべきである。

(四) 正幸は、前記各金員の利得が法律上の原因なくしたことについて、悪意であった。

(五) よって、原告は、被告らのそれぞれに対し、不当利得返還請求権に基づき、甲・乙貸金として交付された七二五万円(被告両名の合計一四五〇万円)及びうち甲貸金として交付された五五〇万円(被告両名の合計一一〇〇万円)に対する甲貸金が交付された後の日ないしはその日である昭和五六年七月二九日から、乙貸金として交付された一七五万円(被告両名の合計三五〇万円)に対する乙貸金が交付された日である同年八月一〇日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による利息の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実は否認する。

正幸は、前記のとおり、原告主張の各金員の交付を受けていない。

(二) 請求原因(二)の事実は認める。

(三) 請求原因(三)の事実は否認する。

正幸は、その死亡までに不当利得にかかる金銭を喪失しており、現存してはいなかった。すなわち、正幸が原告主張の各金員の交付を受けていたとしても、交付を受けた直後、貸し付けに関与した佐々木正気が正幸の手元から正幸の承諾を得て又はこれを得ないで右金員をそのまま持ち去っているから、正幸の死亡当時において利得は存在していなかった。

仮に、正幸が右金員の交付を受けた後、佐々木正気が持ち去らなかったとしても、右金員が他の財産に変わったり、生活費等の有益な使途に費消されたりなどした形跡もなく、現存はしていない。

民法一二一条但書は、無能力者の行為が取り消された場合には、現存利益の限度で返還すれば足りる旨を定めているが、意思無能力者の行為であることによって無効とされる場合にも、右規定の準用又は類推適用により現存利益の限度で返還すれば足りるものと解すべきであり、かつ、現存していたことについては、不当利得返還請求者が主張立証すべきである。

(四) 請求原因(四)の事実は否認する。

被告らが貸金として交付を受けた金員について、原告に対し不当利得として返還すべきであるとしても、正幸は、利得時において、不当利得の意味内容を理解することのできる意思能力を欠いていたのであるから、悪意と考えることはできず、善意に準じて考えるべきである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  主位的請求に対する判断

1  請求原因について

請求原因(一)(1)(2)(3)、同(二)の事実は、甲一ないし三、五ないし七、一八、二一、及び原告本人尋問の結果によって、認めることができる(ただし、交付にかかる金員の額の点は後記認定のとおりである。)。

請求原因(三)の事実は、当事者間に争いがない。

2 抗弁(意思無能力)について

成立に争いのない乙三ないし六、九ないし一一、一三、並びに弁論の全趣旨によれば、甲・乙貸金の契約当時における正幸の心身の状況について、次のとおり認めることができ、甲一五の7、一六の7及び8、10、一七の2の各供述内容並びに原告本人尋問の結果のうちこの認定に反する部分は、いずれも採用することができない。

① 正幸は、大正一五年一〇月二七日に生まれ、農業で生計を立て、通常の家庭生活を営み、特に著しい疾病に罹患したことはなかったが、昭和四一年八月、三九歳の若さで脳出血で倒れ、約四か月入院したこと

② 正幸は、右脳出血の後遺症として、左半身が麻痺し、歩行障害や大小便の失禁をたびたび起こすようになり、昭和四四年には身体障害者一級に認定されたが、昭和五五年三月更に二度目の脳出血(軽度)を起こしたこと

③ 正幸は、このため、知能障害が生じ、食事をしたことを忘れたり、妄想的な作り話をしたり、銀行のあゆみの箱やくずかごに自己の実印を投げ捨てたり、ポストに通帳を入れて来たりといった異常な言動を経常的にするようになり、特に、二度目の脳出血により、痴呆の程度も増強していたこと

④ 正幸を事件本人とする禁治産宣告申立事件(仙台家庭裁判所登米支部昭和五八年(家)第五三号事件)において、鑑定人に選任された山本昌夫医師は、昭和五八年一〇月一一日付けの鑑定書《乙三》中で、右鑑定時における正幸の精神的能力の程度について、「痴呆が著しく、その知能の程度は八歳ぐらいで、田中ビネー式知能検査の結果は知能指数四六で、重症痴愚と同程度であり、自己の心身状況に対して深刻な感じをもたずほとんど無関心である。昭和四一年八月罹患の脳出血のためかなり広範囲に脳が障害を受けている。脳は一旦侵襲を受けると、その部分の回復は不可能であり、本例のようにかなり広範囲な脳障害によって起こった痴呆は回復不可能であり、その痴呆も高度であるため、今後、責任ある仕事は一切期待できない。」として、結論として、正幸は民法七条にいわゆる心神喪失の常況にあるとの鑑定をしていること

⑤ 正幸が原告となって本件原告を被告として提起した当庁昭和五七年(ワ)第三九四号請求異議等請求事件(本件の甲・乙貸金の契約のされたことが記載された公正証書の執行力の排除を求める事件で、本件の主位的請求とその争点は基本的には同一である。)において、鑑定人に選任された石井厚医師は、昭和六〇年一二月三〇日付けの鑑定書《乙四》中で、本件の甲・乙貸金の契約のされた当時及び右鑑定時における正幸の精神的能力の程度について、「鑑定時、正幸は、高度の痴呆状態(鈴木・ビネー式知能テストの結果は知能指数二三で、精神薄弱であれば重度のものに属する。)にあり、住所・姓名を書くことはできたが、自己の年令は分からず、妻・子・同胞の名前も区別も分からず、簡単な書き取り、加減算も不可能であった。また、左半身の運動麻痺と知覚の鈍麻があり、尿の失禁がみられた。もっとも、正幸の精神状態は日によって良い時と悪い時とがあったが、良い時でも高度の痴呆状態にあることには変わりはなかった。」としたうえで、「この状態に至った原因は、昭和四一年八月及び昭和五五年三月の二回に及ぶ右大脳半球の出血であるが、第一回の出血が重篤で、後遺症としての痴呆、左半身の麻痺を残した。その後、運動麻痺が幾らか改善したところに第二回の出血が起こり、痴呆や麻痺が修復不能の状態になって今日に至ったものと思われる。したがって、昭和五六年一月ないし一二月当時においても現在(昭和五八年九月当時)と同じ精神状態にあったものと考えられる。」との鑑定をしていること

⑥ 正幸は、昭和六一年三月五日仙台家庭裁判所登米支部の前記禁治産宣告申立事件において禁治産宣告の審判を受け、右審判は同年四月一二日確定したこと

以上認定の事実によれば、正幸は、原告と本件各契約を締結した昭和五六年当時、右各契約について、その意味を理解して自己の行為の結果を弁識することのできる意思能力を具えていなかったものというべきである。

もっとも、この点については、甲一一(正幸が本件原告を被告として提起した前記当庁昭和五七年(ワ)第三九四号請求異議等請求事件の昭和六二年三月二四日判決)、一二の1(正幸が千葉益生及び金田益吉を被告として提起した当庁登米支部昭和五七年(ワ)第一一号債務不存在確認等請求事件の昭和五九年三月九日判決)、一二の2(仙台高等裁判所の右事件の昭和五九年(ネ)第一七三号債務不存在確認等請求控訴事件における昭和六一年九月三〇日判決)、一二の3(最高裁判所の右事件の昭和六二年(オ)第六六号債務不存在確認等請求上告事件における昭和六二年五月八日判決)、一三の1(千葉昭秋が正幸を被告として提起した当庁登米支部昭和五七年(ワ)第五九号貸金請求事件の昭和五九年三月一六日判決)、一三の2(仙台高等裁判所の右事件の昭和五九年(ネ)第一七二号貸金請求控訴事件における昭和六一年三月一七日判決)、一三の3(最高裁判所の右事件の上告審における昭和六一年一〇月二日判決)によれば、別の訴訟事件の判決において、昭和五六年当時の正幸の精神的能力について、本件とほぼ大差のない事実関係を認定したうえ、正幸が意思無能力であったとまではいえない旨の判断が示されていることを認めることができるが、これらの判決の後である昭和六二年二月四日に実施された前記石井厚医師の証言《乙五》に照らして、右の別件の各判決を検討するならば、正幸が意思無能力であったとの前段の認定判断を左右するものではなく、現に、前記当庁昭和五七年(ワ)第三九四号事件の控訴審判決《乙一》は、右証言を基本的に採用して正幸の意思無能力を認定しており、かつ、右判決は、右事件の上告審における昭和六三年(オ)第一五八六号事件において、維持されている。

したがって、右抗弁は理由がある。

3  してみると、本件各契約は、いずれも無効というほかなく、原告の主位的請求は理由がない。

二  予備的請求(不当利得返還請求)について

1  請求原因について

(一)  請求原因(一)の事実(金員の交付)は、甲一ないし三、五ないし七、一八、二一、及び原告本人尋問の結果によれば、原告と正幸との間で消費貸借ないし準消費貸借の契約をし、原告が正幸に対し、利息を天引きしたうえ、昭和五六年五月一九日に三八八万円、同年六月一九日に二七九万円、同年七月二九日に三八一万円、同年八月一〇日に三三九万五〇〇〇円を交付したことを認めることができる。

(二)  請求原因(二)の事実(意思無能力)は、主位的請求の請求原因においてこれを意思無能力であったものと認定判断したところであるが、予備的請求においては意思無能力であったことにつき当事者間に争いがない。

(三)  そこで、請求原因(三)の事実(現存利益の存否)について、判断する。

民法一二一条但書は、同法七〇三条以下に定める不当利得の一般原則に対し、無能力者保護の観点から無能力者であることを理由に取り消された場合における不当利得について特則を定めた規定であるが、右の趣旨は、意思無能力を理由に無効とされた場合における不当利得についても、同様に考えることができるから、民法一二一条但書を類推適用すべきである。そして、民法一二一条但書の「現ニ利益ヲ受クル限度」は、民法七〇三条の「利益ノ存スル限度」と同義であると解されるが、金銭の不当利得の場合には、利得は現存するものと推定されるから、利得者が利得した利益の喪失についての主張立証責任を負うものというべきである。

なお、利得者が意思無能力者である場合には、意思無能力者は、そもそも契約の法的・経済的意味や金銭ないし金額の意味を理解するだけの精神的能力を欠いていて、しかも、後見人や保佐人がいないのであるから、たとえ金銭を受け取ったとしても、これを自己の財産として過失なく管理することも、有益な使途に費消することも、期待することはできず、しかも、事後的に金銭の管理・費消等の状況について調査しようとしても、意思無能力者の記憶が曖昧であることなどから、不可能であることが多く、利得した利益を喪失したことについて、具体的にその事由を特定して主張立証することは、通常困難であるが、他方、利得者の相手方が利得者の受け取った利益の現存について具体的な事由を特定して主張立証することも、利得者が意思無能力であったことについて悪意であったなどの特段の事情がない限り、極めて困難であり、彼此対照して検討するならば、利得者が意思無能力である場合においても、利得者の意思無能力につき悪意であったなどの特段の事情がない限り、利得者において利益が現存しないことについて、主張立証責任を負うものというべきである。ただ、意思無能力について一般的に認められる右に指摘した事情によって、利得者に利得が現存しないことについて、事実上の推認が働くものということができるであろう。

以上の見解に立って本件を見るに、正幸の死亡時における利得の現存の有無については、正幸の精神的能力の乏しさから正幸にまとまった記憶を欠くため、必ずしも十分に解明し得たとはいえないものの、甲一六の7、一八、一九、被告ら各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件甲・乙貸金の当時、正幸は、佐々木正気とよく行動を共にしており、そのような行動状況のもとで、その有していた多くの資産を失い、かつ、多額の負債を負うに至ったこと、現に本件甲・乙貸金の授受等の際にも、その一部又は全部につき佐々木正気が関与していることが認められ、しかも、正幸が貸金当時意思無能力であったため、貸金の法的・経済的意味を理解せず、貸付けを受けた金銭が贈与を受けたものではなく、これを保管するか有益に費消・運用するかしていずれ返済すべきものであることについて十分な認識を有していなかったことは、正幸の精神的能力を判断した際に認定した前記事実から十分に窺い知ることができるから、これらを併せ考えると、経験則上、正幸は、利得後早々の段階でこれを喪失していたものと認めるのが相当である。

そうすると、原告の予備的請求も、その余の判断をするまでもなく、理由がない。

三  以上によれば、原告の請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官塚原朋一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例